岡本太郎作の梵鐘、歓喜があることで知られる名古屋市北区の久国寺(きゅうこくじ)。歓喜は釣鐘に巨大なツノがニョキニョキ! 悪の秘密結社の新兵器のような様は、バクハツの巨匠にふさわしく、世の常識をブチ壊すエネルギーを体言しています。
このお寺の境内にもうひとつ、偉大なる巨匠の作品が遺されていることはほとんど知られていません。というか私も知りませんでした。本堂の左手にすらりと立つ護国観音。これこそ我らがコンクリート仏師・浅野祥雲の作品だったのです。
左手にあるのが護国観音
観音様でもなんとなく男らしい表情が祥雲作品ならでは。
建立後、一度塗り直しを行っているそう。
観音様は、太平洋戦争の戦没者の慰霊のためにこの地区の遺族会の方々が建てたもの。台座の裏に、80名の英霊と世話人・幹事20名の名前が彫られています。
作者の銘はありませんが、ご住職に尋ねたところ、「名前は知りませんが、関ヶ原や、瀬戸かどこかの山の中にも日蓮さんにまつわる像を作った人だと聞いています」とのこと。関ケ原とはウォーランドのこと、瀬戸の日蓮さんは日進の親鸞さんの記憶違い、すなわち五色園のことでしょう。
関ケ原ウォーランドの駐車場の脇にも、ここの観音様そっくりの像があり、その作風からも祥雲作品だと認定して間違いありません!
今年は岡本太郎生誕100周年ということもあって、歓喜が紹介される機会も非常に多いとか。
一方の観音様はほとんど顧みられることもなく、ご住職自身「うちは境内をご提供しているだけなので、いつ、どんな様子で建てられたのかもよく覚えとらんのです」とのこと。
歓喜は昭和40年、観音様はその2年後に建てられていて、どちらも先代のご住職の時代とはいえ、「そうでしたかな。もっと古いと思ったんだが」とおっしゃるくらい、記憶に残っていないそうです。
こちらは関ケ原ウォーランドの観音像。久国寺の護国観音とそっくり →
最近は遺族会の方もほとんどお亡くなりになり、お参りに来る方もいないそう。そればかりか、「随分古くなっていて倒れたりしたら危ないので、どうしたものかと悩んでいるんです」とご住職。確かに、台座を含めて約5mもあり、大きな地震があったら倒壊の危険性は免れません。「せめて台座から切り離して像を下に下ろせば、大きな事故は防げると思うんですが」とご住職がおっしゃるように、今後も像を遺していくためには何らかの処置が必要であることは間違いありません。
ご住職には、我々が行っている五色園修復活動についてご説明し、像の保全についても相談に乗りますとお伝えして辞去しました。
こうした働きかけは、他の祥雲作品施設にもしていますが、結局は直接の関係者が自主的に動いてくれなければ何か事を起こすことはできません。
北区の方、その他の祥雲スポットの関係者および近隣住民の皆さん、
「おらが町の祥雲作品をどげんかせんといかん(名古屋弁だと「どーにかせなかん」!)」と思っていらっしゃる方は是非ご一報を!!