祥雲作品極東の地・熱海城へ行ってきました。
祥雲ウォッチャー的に最大のチェックポイントは、天守閣の金のシャチホコ。
コンクリート塑像で一時代を築いた(?)祥雲さんが遺した
一般公開されている中ではおそらく唯一の金属作品です。
得意のコンクリート以外で、施設のシンボル制作の発注があったことからも
祥雲さんが造型家として評価されていたことがうかがえます。
その他にも、館内の大きな恵比須・大黒像や、入口横の宝船、
天守閣下駐車場に半ば打ち棄てられている十二神将など、
数々の作品が見られました。
ここで驚かされたのは、駐車場入口付近の達磨大師像。
裏に銘が彫られており、
「念力作 祥雲 八五才 俊子 七四才 一九七五年 三月」
とあるのです。祥雲さんが亡くなったのは数え年88才の1978年。
その3年前の作品なんです。
筆者が知る限り最も晩年の作品で、まさに仏像彫刻に生涯を捧げた
その仏師魂が念力のごとく注入された一品と言えるでしょう。
そして横に刻まれた「俊子」さんとは奥様のこと。
祥雲さんは、11歳年下で体の弱かった奥様を大変大事にされていたそうで
そんな愛妻家の一面が最期の作品に刻まれているところに
明治男の愚直でまっすぐな人柄が偲ばれます。
さてさて、このあたりまでは、ディープな祥雲ファンの間では
知られているものなのですが、驚くべきことに、熱海城には
頻繁に見させていただいます。どうしてコメント・トラックバックの数が0なのでしょうか? ひょっとこしてソフトとかクリームとかに問題があるのでは? ってんで送信させていただきます。吹けよ風呼べよなぜ?の嵐